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    Aine E Nakamura

    家族の話をするとき、けっしてキレイごとじゃないのが、私の家族の実情です。数年前、私はとあることから心の病気をわずらい、セラピーの過程で、家族、そして私のキオクを持っていることを知りました。気づくことは癒やしのはじまりでした。

     

    鬼の写真撮影のフォートグラファーで友達のあさが「鬼は弱さで仏は強さかな」と言いました。「どっちも否定するのではなく同居するのが、生きるということかな」と。鬼の象形文字は、皮をはぐ、という形です。皮が何かわからずして、かるくはいでみても、何かどこかに残るようです。そして宿題がちょっと先に残るのかもしれません。一年半前、空き家となった家とコウバに別れを告げる際、草ボーボーの庭と曽祖母の部屋で、鬼のお面をつけてパフォーマンスしました。鬼のお面は、居間に母が小さい時よりずっと前からホコリをかぶってあったモノです。「やさしいおに つよいおに」と書きました。「ともしび‘」の周りの黒い紙は、曽祖母の障子紙、「鈴わらい」の鈴は、曽祖母の鈴、糸機と、重りは、コウバに転がっていたものです。

     

    一宮出身の咲子さんが、紡績工場の倒産と一家離散後に貧困の中で経験した「かなしい苦労」を、父はなぜ私に話すのだろう。今言わなくちゃいけないかのように、父や母の周りの色んなこと、しみでてくる。オープニング一週間ほど前にズームで話した際、私は感じました。父は動かしたい。こころのこと。一人のことじゃなくて、もっと全体のこと。動かす必要性を感じている。このプロジェクトはだから、父とのコラボなのだと思います。できるでしょうか。もしかしたら、決して誰も手を差し伸べない立川の米軍相手の娼婦の女性達と交友のあった咲子さんとのコラボでもあるのかもしれません。

     

    「アサガオ」は、あいちトリエンナーレとのパートナーシップ・プログラムです。あいちトリエンナーレのタイトルにもあるアドニスの詩集は、「灰」の中から生み出されました。「灰」と「薔薇」どちらか一方ではなく、その「あいま」。しわとか、ひだとか、というものかもしれません。また、現代私たち人類が抱える状況を無視しない、ということでもあるように思います。父を置いてきぼりにしないで、わたしの中のなにかも置いてきぼりにしないで、咲子さんも置いてきぼりにしないで、でも、変化していきたい。

     

    二年半前にノコギリ二と出会い、織物の街、一宮の土地のリサーチを始めて、一年半前に、ノコギリ二のまわりの方々にお話うかがいました。みなさんのお声、表情、ことばは、私にとって、豊かなひだ、になっているように思います。みなさんとお話していくと、私と私の家族をみなくちゃどうしようもない、と感じるようになりました。今枝さんが、自分の事を見るのは一番難しいとおっしゃってくださった、まさにそのプロセスを踏む必要を感じました。朝から夜まで織物工場で働いておられたみっちゃんは、「目」、見ること、見られること、の問いをくださいました。平松さんのお母さんには、ここで働いていた若い女性達のお話だけでなく、ご自身のお話うかがうことができて同じ女性として共感しました。お米カフェCASAのジョウさんとミノリさんには、生き抜くこと、そのことを若い人たちと考えるためにどう生きるか、ということを教えてもらっています。ノコギリ屋根のコウバとお別れをした宮田さんは、土地に根差すということを見せてくださいました。あたたかいマジョティをご提供してくださるフジコさんには、月日の節々でマヤ歴のお言葉もらっています。フジコさんは「ともしび」ライトを守ってくださっています。イトケンさん、collaborationと楽しいミーティングを有難うございます。Special thank you to David Cole and Jeremy Wagner.

    これからみなさんと、時間をかけて、ともしびを、「あいま」から見いだしていけたら嬉しくおもいます。

    林眞夕弓さん、invitationとあたたかなサポートを、どうも有難うございます。

     

     

    中村愛音  Aine Nakamura

    アサガオによせて

     

    「ともしび」ライトご協力:ノコギリ二Camp Shop Lantern

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