
なかむらあいね
ニューヨークのだいすきな友達が紹介してくれた新しいお友達が、また紹介してくれたのが、まゆみさんだった。
日本に行くなら、ぜひ会ってほしいって。
カルフォルニアから東京に着いてすぐ、ズームでお会いした。
色んなことで共通点があって、一宮は織物の地と知って、とても驚いた。
わたしのおじいちゃんは、セーターをつくっていたから 織物の地、八王子で。もっと昔は着物。
父の母が一宮出身、紡績工場の家だった、と知ったのは、パフォーマンスよりもずっと後のこと。
まゆみさんは、とっても魅力的なかた。お会いできて、とてもうれしい。
そして、まゆみさんが、実は、mhPROJECTで、こんな展示を予定していて、よかったら、その作家さんにお会いして、コネクトして、やってみましょうって。
敬子さんのところへは、ルーマニアに行くほんの直前に、おうかがいした。
薄い薄い和紙を作品にされている。
お父さまの散歩のときに、拓本を取る紙を、みせてもらった。
他にも、表皮をくださって、うすくてうすくて、すぐに破れてしまうほどの繊細なものだった。
敬子さんからテーマを教えられ、「環世界」のことを初めて知ったのだった。
生き物それぞれ知覚、触覚、嗅覚その他感覚があって、それぞれが異なる「環世界」で世界を見ている。
初めて一宮を訪れたのは、ルーマニアから戻ってきた後。
神さまの通り道と、人の通り道が異なる、石刀神社で、
いっしょに、木全さんのお話を聞いて、いっしょに、お昼ご飯を座って食べて、いっしょに、森の中を歩いた。
せみの抜け殻があった。
炭をみた。
倒れた木をみた。そこで敬子さんが拓本をとったという場所。
蚊取り線香をつけて、敬子さんがそれをぶらさげて。
車でも三人で、いっぱいお話した。女のこと、ジェンダーのこと。
展示準備中の、敬子さんの拓本をとった紙が、ゆらゆら元工場に揺れていた。
そして、お面との出逢いがその後にあった。
観客がエネルギー体を感じることのできるパフォーマンスを、というリクエストについても、敬子さんからお聞きした。
それから本番までの間に、おばあちゃんが旅立った。97歳だった。
悲しむ余裕もなく、しごとをした。
そして、パフォーマンスの準備をした。
おばあちゃんの顔は、きれいだった。
おじいちゃんの写真を、母がもたせた。
ピンクに黒の水玉の着物をからだにのせて。これが似合ったからって、お母さんがその時にはじめてお葬式で泣いた。
その次に泣いたのは、さようなら、とお母さんがおばあちゃんに言ったとき。
わたしは、おばあちゃんの顔をなんどもなでたよ、おばあちゃん。
おばあちゃんは、お骨になった。
「環世界」はよい宿題だった。
演技をしないのが、私のパフォーマンスの特徴だと自負しているけど、
自分のことからパフォーマンスするのは、限界があるというのは、わかっていて、
ちがうところから作品を作りたいと思っていた矢先のことだった。
だからよい宿題。
これまでのように、サギに「なったり」、木になったり、風になったり、それは、環世界のテーマでは、私中心的な感じがして、 違うと思った。
さてどうしようという時に読み始めていたのが、
細川俊夫先生がご紹介くださった井筒俊彦。それに、細川先生のコンサートも観た。ベルリンで観た曲を、東京でも。すばらしいお仕事を。
井筒俊彦の書いている、
深層的自己と表層的自我の違いは、とてもよいヒントになったし、今もずっと支えられている。
お面のことも、もちろん、調べたり、おもいをめぐらせたりした。
衣裳と体、布/紙と皮膚と体も、最近ずっと考えていることである。
関和明さんとのやり取りに感謝しています。
教えてくださった吉本隆明『ハイ・イメージ論』のファッション論もむずかしい顔して読んだ。
考古学と生態系システムのレジリエンスがご専門の羽生淳子さんからは、一緒に資生堂パーラーでデザートを食べながら、エコロジーについてお話をうかがった。淳子さんと出逢えたことも、とっても嬉しいこと。ケン、感謝しています。
ヒエとかアワ、どんぐりとか山菜、が私たちと繋がっている。
人間のどんな関与が長期的な意味で持続可能であるかないかは、百年などの単位ではじめて評価できるとのこと。
そうしてこうして
敬子さんが、石刀神社の木炭による拓本という行為で、石刀神社の森で記録をした、思い出をつくった、関わった、ということが、 観客と、長い流れや環世界との接点となるような構造がみえはじめたので、
わたしは、その間を、皮膚と皮膚の間を、ものの記憶とひとの間を、木の皮とセミの抜け殻の間、そしてもっと深くから、つなぐような役割をしたいと思いました。
8月5日と6日、よい時間に感謝しています。
パートナーのお面にも感謝しています。
敬子さん、まゆみさん、
ありがとうございました。