Aine Eva Nakamura

Poem/thoughts

アイデンティティ、自然、音楽について
Self-Reflection on Identity, Nature and Music Making (Tishman Environment and Design Center)

 

西表島(2004年)

 

個別研究『島の唄(沖縄、八重山)』の追加研究と、音楽イベント『自然を聴く』(ティッシュマン環境デザインセンター後援)の主宰をする過程で、私は、そもそもなぜ、沖縄地域と島々の歌に惹かれたのかを自分に問う必要性を感じました。芸術を通した私のスタンスを築く為にも、私自身のアイデンティティの模索と音楽・創作活動がどのように関わっているのかを見つめる必要がありました。そして、自然というテーマでの音楽の制作や演奏の、ほんとうの理由を自分自身に問いました。

 

近ごろ、ニュージャージーにお住まいの野村流の落合先生にお借りして、島尾敏雄さんの『琉球弧の視点から』(1992年)を読んでいます。その中で、「ヤポネシア」という言葉に出あいました。島尾さんは、日本をヤポネシアと呼ぼうと提案されています。インドネシアやミクロネシアのようなイメージでのネーミングだそうです。日本は、日のもとではなくて、いくつかの島々から成る地域で、多様なことば、村々、文化、人びとが存在している。日本は、日本の統一されたイメージで覆われているが、実は、多様性に満ちているのではないか、という指摘をされています。また、琉球の島々を訪れると、心が解放されるそうです。海外に渡ったとしても、「日本」からは逃れることはできない。それでも、「海と空との境界の不分明な広がりを沖縄は持って」いる(P28)、と書いています。この「ヤポネシア」という言葉によって、私ははっと、自分の中ではっきりしていなかったことに気付かされたような気がします。この言葉によって、はたして、日本地域が多様性を受け入れる土地になるでしょうか。

 

私は、北米ワシントン州ベルビューで生まれ、幼少期に、横浜市に家族と移り住みました。日本では、幼い私は、「アメリカ」から来た人であり、同時に、日本人であることを求められました。周りの大人たちが私と姉のことを、「アメリカ帰り」の子ども達だと呼ぶ一方で、社会も、人びとも、小さい時のことは関係ないでしょう、「普通」の日本人でしょう、と言い、私はそれを、そうかなぁ、と聞いていました。しかし、実際は、私にとって最初の幼少の言語的文化的影響は重要なもので、周りの人々との文化的アイデンティティの違いを感じざるを得なかったし、違いますと自分でも考えていました。(今では当然、一人ひとりが違う人間でユニークなアイデンティティを持つと、自然に思います。)この日本で求められる文化的アイデンティティとの衝突は、私自身のアイデンティティの模索に繋がっていきます。上智大学在学中は、フィリピンとタイでフィールドワークを行いました。尊敬する故村井吉敬先生の元で学びたいという気持ちだけでなく、私は、国を超えて共通するものを探し、また大きく言えば、世界における自分の役割、居場所を探していました。

 

大学を卒業してから、東京で、沖縄音楽と登川流師範の呉屋功先生に出逢いました。ソウルミュージック、ジャズを演奏する一方、沖縄音楽を勉強するようになりました。島々の自然について歌うことで、安心し、また癒されてもいました。

 

幼少期に日本に移り住んでから長い年月を経て、私の最初の記憶である、ベルビューの木々、動物たち、月、純粋な気持ちが、私にとって大事なものであると、自分で受け入れるようになりました。私は、少しずつ地球の人、自然の人になることを選んでいきました。わたしは、どこかの国に所属するというよりは、地球の人、生き物であるというアイデンティティに心地よさを感じています。

 

 

米国に戻ってきてから、私は「アメリカ」という言葉を再び使っていることを自覚しています。以前は、意識的に使わないようにしていました。これは、友人で研究者の友人が、アメリカは、アメリカ合衆国ではなくて、北アメリカ、中央アメリカ、南アメリカであると、教えてくれたことを機に気を付けていたことでした。今、アメリカ合衆国に住み、「アメリカ」という時、私は、この地の人間の一人でありながら、私自身を「大国」USと隔てようとしているのだと思います。ここに来ても、人種や国籍のボックスから逃げ出したくなるのです。

ニューヨークに住んでいると、私の日本からの文化的音楽的側面が、自然と出てきます。また、ニューヨークの町中、電車、暮らしで、人種差別も日々受けます。しかし、私は、自分が地球人であるという意識を持とうとしています。今でも閉鎖的な「日本」や日米の国のアイデンティティへの敵対心のようなものがくすぶっているようなのです。

私は自分に言いたい。もう「アメリカ」という言葉は必要ないでしょうと。会話は、あなたとわたし、一人ひとりの間で行われるべきもので、国の境界から出て考えるべきでしょうと。そして、「わたし」が、それを始めるべきだ、私の偏った価値観から自分を解放して。わたしたちは、「ヤポネシア」人のように、異なる言語、考え、背景を一人ひとり持った人間でありながら、なお共通したヒュマニティももって、同じ自然環境のもとで生きているのだ。

 

 

 

私は、なぜ、この時代に、世界の平和でなく、自分の平和ばかりを求めることができようか

社会の問題が今現実に存在している。そして、私はこの問題が山積みの、簡単に壊れてしまうような社会で芸術をしている

社会の平和は、内側の平和からしか達成されないが

歌い、話す声を持ちながら、私はどう私を役立てられるだろうか

 

 

昨年は、以下の曲を作曲、演奏しました。

 

  新月の夜(歌詞/詩は、Eleven and a Half春号にて出版されます。)

  ドアの外側

  屈斜路湖

  Island of Hills(ネイティブアメリカンの言葉でマンハッタンの意味)

  six stories(日本語の語りによるエレクトロニクスミュージック)

 

ニューヨークにて行われているディミトリ・クリモブ・プロジェクト(前衛劇)にも引き続き参加していて、劇中、声によるインスタレーションに取り組んでいます。(2016年開始)。

 

渡米してからの作曲・演奏は、自然、月、愛情、家族、これまで経験してきたことにインスパイアされました。私の考えを音楽を通して表現していこうという流れを感じると共に、真に伝えたいことは何かに向き合っています。

私が歌いたいことは、戦いや武器により失われてしまう、繊細さです。私の歌いたいことは、政治的であり、私の意見に基づいています。アイデンティティの模索と向き合うことで、きれいなテーマ、音楽的要素で覆われていた、本当に歌いたいことがはっきりしてきました。

 

 

今学期は、Kirk Nurock氏によるComposers' Forumと、Jane Ira Bloom教授によるShelf Life〈ニューヨーク・パブリック・ライブラリー演奏プロジェクト〉にて、コンセプトとリサーチをベースにした作曲に取り組んでいます。

現在、ニューヨーク・パブリック・ライブラリーにて、二つの視点から調査を始めています。イサム・ノグチそして、マンハッタンにおけるネイティブアメリカンの文化です。

 

イサム・ノグチが設立し活動していた、Nisei Writers and Artists Mobilization for Democracyの存在に感心を持ったことから調査を始め、同氏の言葉に出逢いました。

 

 

"my close embrace of the earth

 

...a seeking after identity with some primal matter beyond personalities and possessions."

 

        (Isamu Noguchi and Modern Japanese Ceramics: a close embrace of the earth (2003))

 

 

マンハッタンにおけるネイティブ・アメリカン文化のリサーチも始めています。マンハッタンにおける変化は、Lenape(人間の意)とヨーロピアンによるビーバー皮の取引から始まったことがわかりました。毛皮と武器との取引です。

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ドアの外側 テキスト

Aine Nakamura

(英訳は、音の実現のため、意訳しています。)

 

 

ドアの向こうの廊下で

子どもたちが遊んでいる

ちいさな子どもたち

 

この子があの子に質問して

あのさ それでね

 

空気も含めて遊んでいる

 

天井が飛び去って

空が見えてきた

 

マンハッタンの島の周りには イルカが集まってきた

 

ほんとうに静かな宇宙に

そのままいる時代

そこに参加できるだろうか

 

 

フォート・トライオン・パークよりハドソン川(2017年)

 

 

 

Shelf Life

-Performance at New York Public Library-

演奏:5月14日6pm

NYPL Bruno Walter Auditorium

 

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